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美祢線の歴史 - 乗ろうよ!美祢線

美祢線の歴史

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JR美祢線の歴史を知ろう!
山口県を南北に貫く地域輸送路線であり、山陽本線との接続駅“厚狭”を起点として、沿線には秋吉台・秋芳洞への玄関口美祢市や海上アルプスと呼ばれる青海島がある長門市などを控えています。かつては石灰石などの貨物輸送が多かったため、運賃設定上は幹線に指定されました。

2010年の水害について2010年の水害について

2010年(平成22年)7月12日から15日にかけて、山陽小野田市・美祢市では激しい豪雨に見舞われ、美祢線も大きな被害を受けた。厚狭川の氾濫に伴い、湯ノ峠駅 – 厚保駅間の第3厚狭川橋梁が流失したほか、別箇所でも路盤が流失したため、7月15日に全線不通になった。全線で早期の運転再開の目処が立たなかったため、JR西日本は7月21日からバス代行を開始し、おいでませ山口国体までの復旧が難しいことを示唆していたが、同社の懸命な復旧作業により、翌年9月26日始発より全線で運転を再開することができた。

明治 1905年

山陽鉄道開業

山陽鉄道 厚狭駅 – 大嶺駅間(12.2M≒19.63km)が開業。
厚保駅・四郎ケ原駅・伊佐駅(現在の南大嶺駅)・大嶺駅が開業。翌年1906年(明治39年)に山陽鉄道が国有化。

1909年 国有鉄道線路名称制定。厚狭駅 – 伊佐駅間を大嶺線とする。
大正 1916年 美祢軽便鉄道 伊佐駅 -重安駅間(3.4M≒5.47km)が開業。吉則停留場(現在の美祢駅)・上領停留場・重安駅が開業。
1920年

美祢軽便鉄道が国有化

美祢軽便鉄道が国有化され、美禰軽便線となる。吉則停留場を吉則駅に格上げ。上領停留場が廃止。
重安駅 – 於福駅間(3.0M≒4.83km)が延伸開業。於福駅が開業。

1921年 湯ノ峠駅が開業。
1922年

美禰線に改称

軽便線の呼称廃止に伴い美禰線に改称。

1924年 於福駅 – 正明市駅間(11.7M≒18.83km)が延伸開業し全通。大嶺線が美禰線と新規開業区間を編入し美禰線に改称。渋木駅・長門湯本駅・板持駅・正明市駅(現在の長門市駅)開業。
正明市駅 – 長門三隅駅間が延伸開業。
昭和 1958年 板持駅が開業。
1962年

長門市駅に改称

正明市駅が長門市駅に改称。

1963年

美祢駅に改称

吉則駅が美祢駅に改称。湯ノ峠駅 – 厚保駅間に松ヶ瀬信号場が開設。

1987年

貨物営業廃止

国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が厚狭駅 – 重安駅間の第二種鉄道事業者となる。重安駅 – 長門市駅間の貨物営業廃止。

平成 2009年

石灰石貨物列車が廃止

重安駅 – 宇部線宇部岬駅間の石灰石貨物列車が10月18日に廃止。

2010年

水害により全線不通

大雨で橋梁や路盤が流失し、全線が不通になる。

2011年 9月、全線で営業運転再開。
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